上の写真は, 日本に輸入された9850形(車軸配置は(C)C), その下は,オーストリア=ハンガリー帝国軍用鉄道(k.u.k Heeresbahn)狭軌(760mm)用k.u.k. HB VI形(車軸配置は(1'C)C)で,いずれもドイツのヘンシェル社製であり互いに親戚とでも言える形式です.そういわれると,特に運転台の形状が似ているような気がしないでもありません.ただ,砂箱は前者では2つ,後者では1つです.
面白いのは,それぞれの車軸配置で,9850は日本の軌間1067mm(イギリスの植民地用規格)用のため,それより300mm以上も狭い軌間用のk.u.k. HB VIより車幅も全体のサイズも大きいと思われるのですが,前者は動輪のみの(C)Cで,おまけに炭水車にいたっては,2軸台車+1軸固定と言うように(変則)3軸となっているのに対し,後者においては,1軸の先輪がついており,また,炭水車も2つの2軸台車に支持されていたようで,全体の軸数が多くなっています.(興味を持たれたら,それぞれのスペックを比較されるとよろしいでしょう.例えば,いずれも使用蒸気圧は14kg/cm2,動輪直径は,9850形が9600形のそれとほぼ等しい1245mm,k.u.k. HB VIが800mm,火格子面積は後者のほうが大きく,それぞれ1900m2,3000m2となっています.また,全長は9850形が18933mm,k.u.k. HB VIが18066mmとほとんど同じで,炭水車の積載量は9850形が石炭3.05t,水12.11m3,そして,k.u.k. HB VIでは石炭5.0t,水15.0 m3と後者のほうが大きいというのも興味深く思えます.6年という歳月がヘンシェルの技術力を向上させた結果でしょうか.もちろん,それぞれの発注者の要求もあったでしょう.特に後者は軍用機関車だったことも忘れるべきではありません.さらに,同時代に製造されたドイツや他の国,例えばイギリスの狭軌用機関車などと比較するのも面白いのではないかと思います.)
なお,日本の交通博物館に解剖展示されているのは,言うまでもなく前者,そして,後者については,同様に静態保存機ですが,同形式のJŽ 92-043がクロアチアのポゼガの鉄道博物館に展示されているようです.なお,9850形が日本にやってきたのは,9600形が誕生する前年の1912年,k.u.k. HB VI形がセルビアにやってきたのは,その6年後の1918年のことでした.ところで,マレー式機関車は,後方の2つのシリンダーを高圧蒸気で動かしたのちに,それから排出される低圧蒸気で前方の2つのシリンダーを動かす構造のため,上の写真を見てもわかるように,それぞれの大きさを比べると,前者は小さく,後者は大きくなっています.(下は,ヘンシェル博物館が販売しているマレー式のタンク機関車であるバイエルン領邦鉄道Gts 2 x 3/3,のちのドイツ帝国鉄道99 20形を下から視た図面ですが,それぞれのシリンダーの大きさの違いがよくわかります.)
そこで,気になったのが,個人的に好きな形式である旧ザクセン領邦鉄道IV K (ドイツ帝国鉄道編入後99.51–60)のように,それぞれのシリンダーが向かい合わせになっている構造のものにおいてはどうかということだったのですが,やはり,それぞれの大きさをみると,高圧と低圧蒸気によって動かされるシリンダーの順序は通常のマレー式と同じ,すなわち,前方が低圧用,後方が高圧用だったようです.なお,IV Kは,B'B' n4vの表記から判るように飽和蒸気機関車です.
最後は,おまけとして,9600形に続いて日本で製造される4110形のお手本として鉄道院がドイツのマッファイ社に発注した4100形の写真です.なお,シリンダーの数は,4100形も4110形も2つでした.5動軸は,ドイツの統一規格貨物用機関車では一般的ですが,高速走行時の安定性が求められる急行旅客用機と異なり,殆どの形式が2シリンダー機であり,3シリンダー機は,炭水車付では,44形と45形に限られています.
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