Thursday 16 April 2020

【絆】と言うお題目,あるいは言語的錦の御旗が聞こえてこない今回の災厄 - 所感

何故か,今回は【絆】という言葉が聞こえてきません.なぜでしょうか.絆は,仮の地縁血縁協同体を構築するためのスローガンです.ようするに,元々全体主義的な傾向,すなわち甘えの傾向に支配されている日本人は,助けが欲しいと【絆】と言う言葉を連発します.それは甘える側と甘えられる側との関係を表す言葉であり,その甘えの裏側には,甘える側の人間を甘えられる側の人間が支配するという暗黙の了解が隠されているのです.つまり,弱っている人を助けるためには,一時的に面倒を見る母親と面倒を見られる子供に似た関係が構築される必要があるというわけです.日本には,公共と言う概念が存在しません.しかし,公共と言う概念が存在する外国から入ってくるコロナウィルス関係のニュースには,【連帯】と言う言葉が頻繁に用いられています・【連帯】という概念は公共と言う概念があってこそ,使われる言葉なのです.そこには,甘えという概念はありません.単純に困っている人と,その人たちを助ける能力があると自認する人との間の関係を示す言葉なです.そこには,地縁血縁的な運命共同体的,すなわち母子的な関係は微塵もありません.そして,もちろん,支配,被支配の関係もありません.助けられる側も助ける側も,自由であり,人間として同等なのです.日本は,かなり以前から支配者と被支配者との関係が,上記ような疑似的母子関係にあります.そのため,今回のような場合も,これまで同様に【連帯】と言う言葉が聞こえてこないのです.なぜならば,全国民に対し対策を講じる立場にある政府と国民の間には,すでに,既成事実として【絆】が存在しているからです.【絆】と言う言葉は,東北大震災後に頻繁に使われました.それは,東北の人たちに対しては,彼らが他地域の人たちと同じように,政府の【子供】(昔の言葉で言えば(天皇)の赤子)であることを思い起こさせるために使われた呪文だったのです.別の言葉で言えば,お上に従えと言う命令の裏返しに他なりません.そして,被害を受けていない地域の住民たちに対しては,彼らも同じ日本の,より正確に言えば政府の【子供たち】なのだから,互いに助け合うようにと言う,被支配者からのメッセージだったのです.【絆】は,日本以外の人たちには絶対に使われることはありません.神道が外国に宣教しに行かないのと同じように,日本だけに通じるガラパ語でしかないのです.

これに対しユダヤ・キリスト教文化に於いて,全ての人間は神の前に平等であるという伝統的認識がありますが,日本には同様の神もいませんし,従って,そのような平等の概念もありません.今に至る迄,日本のすべての集団は,多かれ少なかれ古来の村落共同体指向に支配されています.虫送りや塞の神,あるいは村のはずれに飾られる大わらじなどが表しているように,個々の村落共同体は,自らの繁栄が他の共同体の犠牲の上に成り立ったとしても,それは自然なことだったのです.それこそが,日本の鎮守信仰,しいては神道の神髄なのです.ただ,明治時代になると,それらの共同体を人為的にまとめて,天皇を中心とする,ひとつのメタ協同体に作り上げようと言う動きがでてきます.それを進めたのが,明治政府のイデオローグ,熊本藩士の井上馨です.尤も天皇を中心にしたと言っても,皇祖はアマテラスという女神なのですから,やはり,近代日本の政府と国民の関係は,疑似的な母子関係だったと言ってよいでしょう.(母親に支配されていた三島由紀夫の幼年期が想起されます.) アマテラス,エペソのアルテミスのアナグラムのように聞こえてならない神名ですが,実際,豊穣の神と言われるアルテミスとアマテラスには共通性があります.なお,アルテミスは,ユダヤのカバリズムが伝える悪魔の母である,最初のエバと言われるリリト(Lilith)と似たような存在でもあります.乳(恵)も与えるが,時には破壊的行為も見せるというのがこの悪魔というか,神の特徴です.明治以降は,それまでは仏教における法王的な地位が与えられていたものの,明治になってプロシアのフリードリヒII世を模して,大元帥,すなわち全軍の最高司令官の立場に置かれた天皇は男性である必要がありました.それでも,日本人は,そこに女性的な,あるいは母的な役割を求めたのです.そうした臣民の要求に応えたのが,伊勢神宮の崇拝だったのです.ちょうど,元々は男菩薩だった観音菩薩が,日本ではいつのまにか,女菩薩になってしまったのも,同様の精神的必要性に応えるものだったのかもしれません.特に,天皇に平和の使者的な役割を与えた戦後においては,その姿勢が顕著です.

このように考えてくると,昨今,相次ぐパワーハラスメントなどにより自殺に追い込む企業の姿勢は,未だに近代市民国の態をなしていない日本の村落共同体における間引き,または村八分と同じ目的を持つものと思われます.

いずれにせよ,上記の説明でお分かりのように,日本が他の国の避難民を受け入れることはありません.日本と世界を結ぶ【絆】は存在しないし,まして,【連帯】と言う概念も持ち合わせていないのですから.

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