Saturday, 10 January 2015

"シャルリー"ではない高校生たち

今や,報道の自由,表現の自由の代名詞となった"Je suis Charlie".襲撃を非難するデモンストレーションも各地で開催されています.(アジアでは,香港,台北,高雄などでも.)ただ,私にとって今ひとつ割り切れない部分があるのですが,同じような気持ちの子供達がフランスにいることを知りました.伝えているのは,L'EXPRESSの9日付Pour certains lycéens, "Charlie Hebdo, c'est quelqu'un qui a provoqué"とLe Mondeの10日付A Saint-Denis, collégiens et lycéens ne sont pas tous « Charlie »

彼らは,このような虐殺を容認しているわけではありません.しかし...

L'EXPRESSが紹介しているのは19区,90年代にKouachi兄弟が住んでいた場所の子供たち.そのなかのひとりは「シャルリーの目的は挑発だった.だからと言って殺される必要はなかったけど.」と語りました.そして,取材に応じたムスリムのサラさん(女子生徒,16歳)は罪のない人の命を奪うのはクルアーンにおいて禁じられていると聖典の言葉(Sourate 5章32節)を引用し,テロリスト達が彼らの宗教の名の下に殺人を犯すことは許されないと断言."Allahou Akbar"と叫びながら,預言者の名前を出して虐殺を行うなど正気の沙汰ではないと言います.サラさんは,水曜日の夜,共和国広場でデモンストレーションに参加しました.ただ,その場で彼女は,誰かが「ムスリムはテロリストだ!」と叫びながら,クルアーンを破り捨てるのを目撃しました.襲撃は異常な事件.でもこれからは私たちが危険にさらされると彼女は不安を打ち明けました.ただ,問題の風刺画については,彼女は理解出来ないと言います.フランス国民の一人として政教分離(Securarism)の原則は堅持されなければならないとしながらも,すべての宗教は尊重されるべきというのが彼女を含め,その場にいた総ての子供たちの意見でした.

同じ通りで取材に応じた30歳代のムスリムの男性は,襲撃事件の犯人たちはイスラムの代表ではない,そして犠牲者については,誰もあのような死に方をすべきではないと言いながら,これまでにCharlie Hebdoの風刺画と映画『イノセンス・オブ・ムスリム』が引き起こした抗議行動においてパキスタンで15人の死亡したことを引用し,Charlie Hebdoの姿勢は正義を否定するものとも言いました.

Le Mondeの記事で意見が紹介されているパリ近郊のサン・ドゥ二のムスリムの高校生たちも,おおよそ同様の意見です. そして,ムスリムのみならず,複数のカトリックの生徒たちも,殺人はもちろん許すことはできない.しかし,風刺画を作成し,それを掲載した側に問題がないとは思えないと述べています.なお,ムスリムの生徒のうちの1人は,1分間の黙祷には参加しましたが,それは犠牲者のためであり,Charlie Hebdoのためではないとも述べました.

なお,#JeSuisCharlieの他に#JenesuispasCharlieというハッシュタグが付いたトゥイートも配信されています.

以上が,記事の簡単な紹介ですが,個人的にはインタビューに応じた子供達の意見こそまともなものに思えます.また,L'EXPRESSのこちらの記事には,彼らと近い意見をもつ大人が紹介されています.

下のTweetに掲載された写真は,アルザスのビシュヴィレールのモスクの壁のドイツ語の落書き.(Ich bin Charlie=Je suis Charlie)そのほかにも,フランス各地のモスクに対する同様の嫌がらせや放火の被害などが報告されています.(Cf. Des mosquées à nouveau prises pour cible in L'OBS)

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