Monday, 22 June 2020

ヘボン博士所縁の日光金谷ホテル

東照宮の楽師(笙の演奏者)だった金谷善一郎が,たまたま日光を訪れたJ. C. ヘップバーン博士を自宅に泊めたことが創業の由来となった指定重要文化財のホテルですが,現在,バーは休業中だそうです.公式サイトへはこちらから.





中禅寺湖畔には旧イタリア大使別荘や旧英国大使別荘(下の写真)が軒を連ねていて,特に後者から眺める中禅寺湖の景色は,まさに一服の風景画.アーネスト・サトウがこよなく愛したのもむべなるかなといったところです.



旧英国大使別荘の二階には金谷ホテルが経営する喫茶室があり,お茶とスコーンが楽しめます.



最後に,日光と言えば,米内光政提督が総理大臣を辞職したというより,辞職させられた後に静養のために訪れた地ですが,残念ながら,金谷ホテルのスタッフの方や旧英国大使別荘の学芸員の方などに伺っても,提督が滞在された施設は判明しませんでした.

米内提督は,日光に滞在中,兵学校同期で無二の親友だった荒城二郎中将宛てに,日光の感想や時局についての所感を綴った手紙を送っていますが,その中に出てくるのが「魔性の歴史」と言う言葉であり,また,次の歌句でした.

見るもよし 聞くもまたよし
世の中は いわぬが花と 猿はいうなり

ねたふりをしても 動くや 猫の耳

1940年8月のことであり,翌9月には日独伊三国同盟締結と,日本が歴史のなかで舵を大きく右にきりつつあるときでした.

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