Sunday, 27 May 2018

ミラクルヴィレッジ,吉浜の名前の由来

昨日,大船渡市立博物館で開催中の東日本大震災および津波の被害の写真展を見に行きました.時間軸に沿って掲示されている写真を見たり,館員の方のお話を聴いて,やりきれない気持ちになりましたが,その方から,吉浜という地区は,昔の津波の被害を教訓にしてほとんどの家屋が高台に移築されていたために,今回の津波では人的被害が殆どななかったことを伺いました.そして,(こうした被害の記録ばかりを見るのもつらいでしょうから,)そこの歴史について調べてみたらいかがですかと勧められ,早速,市立図書館へ行き,吉浜の住民の方々の証言文集を借りて読み始めました.

過去の教訓から地区全体が高台に移住したという話は,この本の巻末108ページからの郷土史家の木村 正継さんによる「特別寄稿 2 吉浜の津波の歴史」に詳しく書かれていました.それを読んで,吉浜の歴代のリーダーたちの考えには,後藤新平研究会 編著『震災復興 後藤新平の120日』の3ページ,「序にかえて」の中で紹介されていた後藤が著した『大乗政治論』のなかの彼の信念に通じるものがあると感じました.
「 国家は一人のための国家ではなく政府は一人のための政府ではない.したがって,責任を国家に負うものは必ず無私の心で奉仕し,常に国民とともに,国民のために貢献しようと目指さなければならない...」
 彼らが,人徳のあるリーダーだったからこそ,住民たちはその指導に従ったようです.

ところで,吉浜の由来ですが,上掲の木村さんの記述によると,もとは葦浜(あしはら)と言う名前だったのが, 音が「悪し浜」を連想させ,縁起が悪いので吉浜に変更されたとのことでした.江戸の最大の遊郭吉原も,もとは葦がたくさん生えていた原なので,「葦原」と呼ばれていたが,同様の理由から吉原に変更されたという説があることを思い出し,漁業も遊郭も縁起を重視する業種であるためですが,似たような改名が行われことを知り,まだ訪れてはいませんが,吉浜という地域に一層興味をおぼえました.

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