Sunday, 22 October 2017

高齢者に負担となる投票所への移動 - 投票へ行って感じたこと

投票所へ行く途中で立ち寄った洗濯屋さんの奥さんの会話

奥さん「大雨警報が出たって.今,テレビで.」
私「自民党は喜ぶでしょうね.行く人少ないだろうから」

しかし,その後,彼女から聞かされたのは,横浜18区内の私たちの地区の投票所は小高い丘の上にある小学校のため,高齢者や足にハンディを持っている人にとっては,極めて不親切な投票環境であると言うことでした.丘の上には,畑や民家もあるのですが,なぜか,この小学校へ通じる道は一本の長い坂道.もちろん小学生の子供達は苦労なく登り下りできるでしょう.しかし,足にはそこそこ自信のある私でさえ,行きと帰りで汗をかいてしまうほど,かなり急な坂です..

奥さんは,これから年寄りが増えていくだろうから,みんな投票へ行かなくなってしまうのではないかと言っていましたが,そうなった場合,得するのは一体だれだろうと考えました.新聞などによると,現政権を支持しない人たちの割合は高齢者,少なくとも50歳以上で大きく,反対に20歳,30歳の若い世代においては,小さいとか.しかし,後者においては,雨が降ろうが,投票所への道が坂であろうが,いずれにせよ投票へ行く人が少ないわけだから,結果的に全体の投票率は低くなる.つまり選挙そのものが形骸化して行くわけです.その結果,いわゆる組織票のみが,この地区の議員を選ぶことになる.特に公明党など,宗教団体が母体の政党の場合,仮に高齢だろうが,足にハンディを持っていようが,まず,本人が支持政党へ投票することは現生利益,あるいは後生利益のための勤行(おつとめ)と考えるため,投票へ行く強い意思を持っており,加えて,もし移動手段が必要とあれば所属団体のお仲間が喜んで提供してくれるので,全く問題なく,一票を投じることができるわけです.

それにしても,日本の政党ほど,名前をコロコロと変え,所属議員が離れたり,くっついたり国はないでしょう.それに,名前を聞いただけでは,どんな政治姿勢を持った政党なのか,全くわからない.なんなんでしょうね.日本の民主主義とは.ただ,気になるのは,若い世代の政権与党を支持する傾向と彼らの保守とリペラルの概念が上の世代と逆らしいと言うことです.自分なりに理由を見つけようとしてみるのですが,見つかりません.最近,仕事や私生活で若い人と話す機会があるので,彼らに訊いてみたいと思っています.ひとつだけ,ヒントになりそうなのは,働く若い人に散見される過労死です.私たち,日本人には,集団志向が魂に刻み込まれています.それが,特に若い人には顕著に思えるのです.すべての人が平等でなければならない,しかし,見ようによっては,隣の芝生も自分の芝生も同じでないと気が済まない.そういう,彼らの親の集団志向,あるいは右へ倣え志向が,彼らにおいて顕著になってしまったのではないか,そう思えなくもありません.特に学歴偏重に陥った58年版学習指導要領で示された基礎学力重視の方向性は,1960年代の経済界の動向と連関 して,大規模な学歴獲得競争を生み出すこととなったと言う見方もありますが,確かに,そのあたりも影響しているかもしれません.ゆとり教育が唱えられ,その後も学習指導要領が改訂されても,学歴偏重社会の構造は今でも強固です.ところで,過労死が労災と初めて認められたのは,1989年4月2日.社会現象とも言われたNHKの連続テレビ小説『おしん』が放送された1983年の6年後のことでした.

右傾化も全体主義化も,その根底にあるものは,やはり孤独に対する恐れです.その恐れを取り除くために,多くの,特に若い日本人は,携帯端末などでコンピューターゲームにのめり込んだり,ゲームセンターやパチンコ屋の中に居場所を見つけているのでしょう.

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