Sunday, 10 January 2016

キンダートランスポートの記念像と慰安婦像の比較から思ったこと

Wikipediaのキンダートランスポートについて解説しているページには,ヨーロッパ各地に建てられた記念像の写真が掲載されています.転載は自由とのことなので,以下にそれらを転載させていただきました.

ウィーン西駅,オーストリア

グダニスク中央駅, ポーランド

リバプール通り駅,ロンドン,イギリス

フリードリヒ通り駅,ベルリン,ドイツ

プラハ中央駅,チェコ
これら,キンダートランスポートの記念像と韓国,ソウルの日本大使館前に建てられた慰安婦の像との違いは何なのでしょうか.答えは簡単には見つかりませんが,ひとつ言えるとしたら,前者はこの出来事についての非人道性が認められ謝罪がなされ,同様の歴史は二度と繰り返させないという当事者全員の決意を永久に表すものであるのに対し,後者は被害者による加害者に対する抗議を目的としたものであるということでしょう.慰安婦の記念碑は,日本では千葉県館山市と鴨川市に,また,沖縄県宮古島市に建立されていますが,これらのうち,キンダートランスポートの記念像の趣旨に近いものは沖縄県宮古島市のものでしょう.(Cf. Wikipedia「慰安婦の碑

日本人は過去に向き合わないと言われたりしますが,確かに私たちは過去の出来事に対し淡白,悪く言えば鈍感なのかもしれません.特にある人たちは,過去を簡単に'神話化'するのを好みます.彼らは神話が客観的事実としては存在せず,従ってその信憑性を科学的手段を用いて証明することはできないものという立場を採ります.西洋では,シュリーマンが神話に登場するトロイの町を発見したり,イェサレム近郊のケテフ・ヒンノムで発見されたアミュレットに旧約聖書の申命記の一部が記載されていたことで旧約聖書が紀元前7世紀に存在していた可能性が確認されるなど,神話や伝説と思われるものも科学的な研究の対象となりますが,日本ではそのようなことは極めて稀です.(例えば,西洋には聖書考古学という学問分野がありますが,日本に神道考古学といった学問分野が存在しているでしょうか.)

日本人,特に為政者が過去の出来事を神話化する場合,目的はふたつあります.ひとつは,それについての客観的検証を事実上禁止し,議論の対象にさせないということです.聖性,不可侵性を与えるためと言ってもよいでしょう.もうひとつは,ひとつめの結果であり,また目的でもあるのですが,その意味を不変化,恒久化させるということです.事実か否か検証不可能なのに,その神話の教え,すなわちドグマは永遠に正しいと信じる姿勢,あるいは信じさせる姿勢は,少なくとも近代人のものではありません.それは,個々のクリスチャンが聖書を読むことを禁じ,神から絶対的な権威が与えられていると主張し,その教えへの無条件での服従を強要した宗教改革以前のカトリック教会の姿勢と似ています.(今日の靖国神社は宗教改革以前のバチカンに例えることができます.とはいえ,敗戦後,GHQの靖国神社破壊計画がバチカンの勧告で中止とされたのは,正しい決定だったと思っていますが.) なお,最近では,現在の出来事さえも神話化してしまう傾向が見られるようです.そのために,用いられる手段はメディアブラックアウト,つまり必要な情報を流通させないことであることは言う迄もありません.(例えば,個人的な印象ですが,日本に対する脅威として中国の行動は頻繁に報道されるのに,脅威としてはさらに深刻とも言えるロシアの軍事行動については殆ど報道されません.) 

さらに,このような,人々の記憶や記録に残っている事象を検証不可能なものとカテゴライズし,その分析や解釈についての自由な議論を封じてしまうというのは,イスラムの教典クルアンに対するムスリムたちの姿勢とも類似していることも敢えて付け加えておきます.さらに,過去に日本の指導者たちが合理性を失い突入した第二次世界大戦の間も多くの神話が生み出されたことも.(当時の日本人の精神状態が,フランスの哲学者コントの理論における〈実証的状態〉の前々段階である〈神学的状態〉に似ていたように思えてなりません.〈神学的状態〉とは,シュティーリヒの言葉を引用すると,「現実のできごとが,類似と継起の法則に従って説明されることはない.人々は,むしろ自分たちの行為から類推して,あらゆるできごとの背後には特殊な生きている意思があると信じている.」状態です.(シュティーリヒ『世界の思想史 下』, 東京, 白水社, 1967年, p144) 神話とは,この意思を反映したものと信じられている物語と言えるでしょう.そして,強いて言うならば,この意思の受肉した存在が,明治以降1945年の敗戦迄が天皇であり,それ以降はアメリカなのかもしれません.(もっとも,現在でも天皇の言葉は神話的性質を保持していますが.) ただ,〈神学的状態〉の日本人の意識において,これらの受肉した意思は人間の次元を超えたものですが,ユダヤ教のように言語によって被造物である人間との関係の規定を許す存在ではありません.そのため,日本がアメリカとの間に維持している関係は基本的に情緒的なものです.ようするに相手の顔色を伺う,別に言い方をすれば相手の回りの空気を読んで自らの態度を決める,そうした非言語的,情緒的依存,つまり'甘え'に基づいた関係なのです.また,こうした強者との甘えによる関係が日本人にとって必要であることは,例えば明治維新をほとんど無条件に'正義'として礼賛する司馬遼太郎の作品の主人公がヒーロー,名将,名君であることからも理解できますし,NHKの内閣支持率調査で支持の理由のなかに「首相の人柄が信頼できるから」と言った選択肢もそうした性質を反映したものです.(そもそも,付き合ったことの無い他人の人柄など,どうして判るのだろうと,聞くたびに吹き出してしまいます.フランスの大統領支持率調査にも'信頼が置けるか’という選択肢がありますが,人柄にではなく,あくまでも大統領としてのこれ迄の実績から判断してということでしょう.)

ところで,司馬遼太郎がその作品を通じて幕末から明治維新に続く日本の歴史の一部を,善きにつけ悪しきにつけ'神話化'してしまったことは事実ですが,彼によって描かれた人物の対極に位置する人々の例として,18世紀の秋田県大館市出身の医師,思想家である安藤昌益,そして司馬が描いた時代においては同じく角館市の平福家の三人(文浪,穂庵,百穂)などを挙げたいと思いますが,個人的には後者たちの性格および生き方のほうにはるかに魅力を覚えるものです.(これらの人々が小説の題材となったり,ましてNHKの大河ドラマで取り上げられたりすることはあり得ないでしょう.)

ついでに言うと,時折,特定の議員が古代の神話を引用することがありますが,この場合の動機として,集団の無意識の根底に存在する西洋先進諸国に対する劣等意識があるのかも知れません.時代を遡れば,白村江の戦いでは唐に敗れ,幕末には薩英,馬関の両戦争で鹿児島藩と長州藩は西洋列強の連合軍に徹底的に打ちのめされます.そして,第二次世界大戦ではアメリカに敗北するのですが,敗戦のたびに戦勝国と仲良くなり,それらの優れた技術や制度を積極的に導入してきたのです.それだからと言って劣等意識など持つ必要はないと思うのですが,西洋に対する劣等意識は,それへのナイーブな憧憬とは表裏一体なのかもしれません.

ただ,明治維新が,当時,最も封建的性格が強かった鹿児島,長州の両藩が中核となって実施されたことで,スペンサーが言うような軍事的な原始社会的側面を色濃く備えた国家を創り出してしまったとも言えます.(前掲書, pp157f) 第二次世界大戦後,一旦はその傾向は薄らぎましたが,奇妙なことに最近になって再び濃くなり始めたようです.

最後に日本の'民主主義'について言えば,奈良時代から明治維新迄,日本は外国の制度を能動的且つ選択的に輸入してきました.しかし,第二次世界大戦後において,西洋的民主主義は自ら選んだ訳ではなくアメリカから否応無しに'押しつけられた'制度であることを忘れてはならないと思うのです.そして,その際,例えば法における平等や普遍的人権など,この統治制度の基盤である様々な思想や価値観を十分に理解することもありませんでした.尤も,これらは基本的にユダヤ教,キリスト教という啓示一神教の思想を起源としているので,自然多神教しか知らない日本人には理解しがたいことであるいことも事実ですが.これらのことを思い起こすとき,現行の極めて不公正な選挙制度を利用して必要な議席を獲得し,憲法を改正しようとする狂気の沙汰としか形容のできない政治が日本では実現してしまうのも無理のないことと言えます.

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