確か,かなり以前にテレビで放映されていた番組です.最近,その中で使われていた音楽のCDが販売されていることを知り,それを紹介しているサイトでは,それらの視聴もできるようです.そこで,このアニメ番組の内容をWikipedediaで見直しているうちに頭に浮かんだのが標題の言葉です.
手元にある『日本霊異記』は,上中下巻から構成され,現代語訳付きの講談社学術文庫版ですが,原典は,薬師寺の僧,景戒(きょうかい)によって編集された日本最古の仏教説話集です.彼が紹介する説話の中には,必ずしも仏教とは関係のないものもありますが,全体として,彼が深く信奉していた仏教が説く因果応報の原則を裏付けるものです.以下に,上記版の現代語訳と注釈を担当された中田祝夫さんが書かれたはしがきの最後の部分を引用させていただきます.
ついでなので,上で言及した自然宗教と啓示宗教との大きな違いを紹介すると,そのひとつは,それぞれの霊魂観です.例えば,日本人の99%以上が意識下,無意識下に拘らず持っている祖霊信仰においては,霊魂は永遠に不滅です.しかし,キリスト教やイスラム教などの啓示宗教においては,霊魂は不滅ではありません.霊魂を造るのも神ですし,また,最後の審判の結果如何では,やはり神によって永遠に滅ぼされます.これらの宗教において,他の全ての存在に依存すること無く,存在出来るののは神だけなのです.しかし,日本の祖霊信仰においては,魂は永久に不滅です.*2) そして,それが,どのように発生したかも問うことはしません.同じように,例えば,太陽が赤色巨星となった膨張し,地球がそれに飲み込まれてしまったとしても,その時点で地球上(?)に存在するすべての魂(生物,無生物も含めて)がどこへ行くのかも問いません.もっとも,量子力学がその存在を示唆する平行宇宙に移動して存続するかもしれませんが.もうひとつの違いは,悪魔の観念です.実は,これは,上述の霊魂観とも関係していて,日本人にはあまりぴんとこない存在なのです.『怪談レストラン』のなかで,西洋の悪魔が登場するエピソードもいくつかあったと思いますが,ごく少数でした.仏教では,悪魔とは仏教修行の妨げになるもの,あるいはことを意味するのみですが,上記の啓示宗教においては,悪魔は,ひたする人間の魂の永遠の滅びを望む存在です.つまり,彼らの行動の前提として,人間の魂が永遠不滅ではないということが必要なのです. しかし,日本の祖霊信仰では,魂は永遠に不滅です.言わば,霊魂自体が啓示宗教の神と共通する属性を持っている存在なのです.祖霊信仰に於いては,定期的な供養により死者の魂が,生者に害を与えかねない荒御霊(あらみたま)から,逆の性質を持つ和御霊(にぎみたま)へと変化します.このように祖霊信仰とは,死者が神,あるいは神に近い存在に変化するのが正常という'教理'がその根幹をなしている宗教なのです.
このように考えて来ると,やはり,日本の漫画やアニメーションが,全体的に,そうした日本人の悪の観念に基づいていることも見えてきます.特に,1930年代に生まれた,日本を代表する漫画家の石ノ森章太郎,横山光輝などの作品において,それは顕著です.彼らの作品において,アメリカ映画の『エイリアン』のような,結果的にその存在自体が人間の滅亡に結びつく,あるいは,共存し得ない存在は登場しません.エイリアンは,悪魔の概念が投影された存在です.しかし,日本の漫画には,そうした存在は,まず登場することはありません.悪が描かれていたとしても,それは,人間の心の中に存在するもので(Cf. 『サイボーグ009』のラストシーン),宇宙の死(より正確に言えば,熱的死)のようなものを実現させることだけを目的にして生きる存在ではないのです.あるいは,仮にそのように見えたとしても,供養というプロセスにより,逆の,つまり善神にもなりうる存在なのです.
最後に,第二次世界大戦中に日本が敵のアメリカと英国のことを何と形容していたかというと'鬼畜米英'です.'悪魔米英'とは言いませんでした.(中には,そう言っている人もいたかもしれませんが.) 単にゴロが悪かっただけかもしれませんが,アメリカの大統領が特定の国を'悪魔'と形容するのに比べて,憎悪の,あるいは否定のレベルが低いように思えます.鬼は,二十四節気の節分に現れるといわれますが,先祖の変身したものという考えもあります.男鹿半島の'なまはげ'は,恐ろしい異形で家々を訪ねる'鬼'とも呼べる存在ですが,その一方で,子供たちを良い子でいるように諭す存在でもあるのです.そして,蓄とは,畜生,つまり動物のことで,害獣もいれば,益獣もいるわけですから,こちらも100%悪とは言えない存在です.
以上,つい思いつくまま書きなぐってしまい,読みづらい文となりましたことをお詫びします.
*1) 源信 著, 石田瑞麿 訳注『往生要集』(全2巻, 岩波文庫), 東京, 岩波書店, 1992年; 西洋で同様のものを敢えて挙げるならば,修道士 マルクス / 修道士 ヘンリクス 著, 千葉畝之 訳『西洋中世奇譚集成 聖パトリックの煉獄』(講談社学術文庫), 東京, 講談社, 2010年など.
*2) 日本人の大多数が,死刑制度の存続を支持する理由のひとつと言えると思います.つまり,殺害された後も,人格を維持しつつ存在し,この世界で起きていることを観察し続ける被害者の怨念をはらすことができる.さらに,どのみち,死刑囚の人格も処刑の後も,同様の形態で存続し続けるわけですから,死刑も究極の苦痛を経験させることでのみ他と異なる刑罰でしかないからです.
手元にある『日本霊異記』は,上中下巻から構成され,現代語訳付きの講談社学術文庫版ですが,原典は,薬師寺の僧,景戒(きょうかい)によって編集された日本最古の仏教説話集です.彼が紹介する説話の中には,必ずしも仏教とは関係のないものもありますが,全体として,彼が深く信奉していた仏教が説く因果応報の原則を裏付けるものです.以下に,上記版の現代語訳と注釈を担当された中田祝夫さんが書かれたはしがきの最後の部分を引用させていただきます.
日本霊異記の編者,薬師寺の僧景戒は,仏教の因果応報を真剣に信じきっていたらしい.善行には善果報があり,悪行は必ず悪因果で報いられるというのである.その真剣さは,下巻の末尾などに見えるが,それよりも何よりも,日本霊異記のすべての説話こそ,因果応報の理(ことわり)が現実に存在すること,また,それが人間と人間社会を支配しているということの証拠そのものであると見ているのである.それと,第19回に「あの世の旅のご案内」というエピソードがありましたが,それを入れると,もうひとつの有名な仏教説話集,源信(みなもとのまこと)著『往生要集』*1)の内容も部分的にせよ含めていると言えると思います.このように考えると,冒頭で紹介したサイトにある「原作が累計800万部を突破した」という記述もむべなるかなと思えてきます.このアニメーションは,古代から私たち,日本人の言わば集団の無意識のなかに植えられ,仏教やその他の宗教者によって育てられて来た,必ずしも100%仏教とも言えない固有の民族信仰(柳田國男が『先祖の話』の中で考察した祖霊信仰,あるいは御霊信仰,氏神信仰と呼べぶことのできる自然宗教の一種)の表出だったと言えるのではないでしょうか.
因果応報は,景戒にとって,歴史観・社会観の原理であった.景戒は日本の歴史と社会の中に,この原理が強く働いていることを指摘したかった.仏教の因果応報は知識としては知られているが,この原理を日本の歴史と社会戸の上にあて,これを実証しようという試みは未だなされていない.そこが景戒にとって活動すべき新分野であった.そこに景戒は意欲を感じた.
景戒はまた,因果応報の現存することを世の人々に自覚させ,人々に警告し,人々を善導したいと熱心に考えていたに違いない.また,そうすることによって,その当時の社会の,天変地異,貧困,疫病,飢饉などの諸の原因が除去され,安らかな社会が実現するとも考えていたに違いない.
(中田祝夫 訳注『日本霊異記』(講談社学術文庫), 上巻 (全3巻), 東京, 講談社, 1978年, pp4f)
ついでなので,上で言及した自然宗教と啓示宗教との大きな違いを紹介すると,そのひとつは,それぞれの霊魂観です.例えば,日本人の99%以上が意識下,無意識下に拘らず持っている祖霊信仰においては,霊魂は永遠に不滅です.しかし,キリスト教やイスラム教などの啓示宗教においては,霊魂は不滅ではありません.霊魂を造るのも神ですし,また,最後の審判の結果如何では,やはり神によって永遠に滅ぼされます.これらの宗教において,他の全ての存在に依存すること無く,存在出来るののは神だけなのです.しかし,日本の祖霊信仰においては,魂は永久に不滅です.*2) そして,それが,どのように発生したかも問うことはしません.同じように,例えば,太陽が赤色巨星となった膨張し,地球がそれに飲み込まれてしまったとしても,その時点で地球上(?)に存在するすべての魂(生物,無生物も含めて)がどこへ行くのかも問いません.もっとも,量子力学がその存在を示唆する平行宇宙に移動して存続するかもしれませんが.もうひとつの違いは,悪魔の観念です.実は,これは,上述の霊魂観とも関係していて,日本人にはあまりぴんとこない存在なのです.『怪談レストラン』のなかで,西洋の悪魔が登場するエピソードもいくつかあったと思いますが,ごく少数でした.仏教では,悪魔とは仏教修行の妨げになるもの,あるいはことを意味するのみですが,上記の啓示宗教においては,悪魔は,ひたする人間の魂の永遠の滅びを望む存在です.つまり,彼らの行動の前提として,人間の魂が永遠不滅ではないということが必要なのです. しかし,日本の祖霊信仰では,魂は永遠に不滅です.言わば,霊魂自体が啓示宗教の神と共通する属性を持っている存在なのです.祖霊信仰に於いては,定期的な供養により死者の魂が,生者に害を与えかねない荒御霊(あらみたま)から,逆の性質を持つ和御霊(にぎみたま)へと変化します.このように祖霊信仰とは,死者が神,あるいは神に近い存在に変化するのが正常という'教理'がその根幹をなしている宗教なのです.
このように考えて来ると,やはり,日本の漫画やアニメーションが,全体的に,そうした日本人の悪の観念に基づいていることも見えてきます.特に,1930年代に生まれた,日本を代表する漫画家の石ノ森章太郎,横山光輝などの作品において,それは顕著です.彼らの作品において,アメリカ映画の『エイリアン』のような,結果的にその存在自体が人間の滅亡に結びつく,あるいは,共存し得ない存在は登場しません.エイリアンは,悪魔の概念が投影された存在です.しかし,日本の漫画には,そうした存在は,まず登場することはありません.悪が描かれていたとしても,それは,人間の心の中に存在するもので(Cf. 『サイボーグ009』のラストシーン),宇宙の死(より正確に言えば,熱的死)のようなものを実現させることだけを目的にして生きる存在ではないのです.あるいは,仮にそのように見えたとしても,供養というプロセスにより,逆の,つまり善神にもなりうる存在なのです.
最後に,第二次世界大戦中に日本が敵のアメリカと英国のことを何と形容していたかというと'鬼畜米英'です.'悪魔米英'とは言いませんでした.(中には,そう言っている人もいたかもしれませんが.) 単にゴロが悪かっただけかもしれませんが,アメリカの大統領が特定の国を'悪魔'と形容するのに比べて,憎悪の,あるいは否定のレベルが低いように思えます.鬼は,二十四節気の節分に現れるといわれますが,先祖の変身したものという考えもあります.男鹿半島の'なまはげ'は,恐ろしい異形で家々を訪ねる'鬼'とも呼べる存在ですが,その一方で,子供たちを良い子でいるように諭す存在でもあるのです.そして,蓄とは,畜生,つまり動物のことで,害獣もいれば,益獣もいるわけですから,こちらも100%悪とは言えない存在です.
以上,つい思いつくまま書きなぐってしまい,読みづらい文となりましたことをお詫びします.
*1) 源信 著, 石田瑞麿 訳注『往生要集』(全2巻, 岩波文庫), 東京, 岩波書店, 1992年; 西洋で同様のものを敢えて挙げるならば,修道士 マルクス / 修道士 ヘンリクス 著, 千葉畝之 訳『西洋中世奇譚集成 聖パトリックの煉獄』(講談社学術文庫), 東京, 講談社, 2010年など.
*2) 日本人の大多数が,死刑制度の存続を支持する理由のひとつと言えると思います.つまり,殺害された後も,人格を維持しつつ存在し,この世界で起きていることを観察し続ける被害者の怨念をはらすことができる.さらに,どのみち,死刑囚の人格も処刑の後も,同様の形態で存続し続けるわけですから,死刑も究極の苦痛を経験させることでのみ他と異なる刑罰でしかないからです.
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