Sunday 18 January 2015

Charlei Hebdoの最新号を巡る動き(リンクのみ)+ 個人的メモ

下の図は,L'OBSのHollande célèbre les "valeurs" de la France face aux manifestations anti-Charlieに掲載されたもの.オレンジは通常の販売地域.グリーンは新たな発注がなされた地域,ラベンダは購入希望をする人がいる地域,濃いグレーは反発が強まっている地域.




関連記事へのリンク:SRFのWütende Muslime stecken Kirchen in Brand, 同じく«Charlie Hebdo» bringt Gläubige in Pakistan und Jordanien in Rage,同じく«Öl ins Feuer»: Mohammed-Karikatur erzürnt Muslime,Le MondeのDes milliers de manifestants dans le monde musulman contre les caricatures de Mahomet


以下,個人的な所感なので折り畳みます.

まず,今や,報道や表現の自由,さらに反テロの代名詞となった感のあるスローガン"Je suis Charlie"ですが,自分はどうかと問われれば"Je ne suis pas tout-à-fait Charlie"と答えるでしょう.「私は,完全にはシャルリーではありません」という意味です.(="I'm not Charlie integrally")

その理由は,個人の信条として自分の友達,あるいは自分に対して親切にくれた人がいやがることをすることはしたくないからです.

これまでの人生において,様々な国で多くのムスリムの人たちと出会いました.そして,いつも私は彼らから助けてもらう立場でした.初めて南フランスの大学でフランス語を学んだとき,クラスメートのエジプト人の高校の化学の先生(家族をカイロに残して単身留学)には頻繁にお宅に招かれ,食事をごちそうになり,エジプトの愉快なポップスを聞かせてもらったり,イスラム教の祈りの仕方を実演をしながら説明してもらったこともありました.観光で訪れたパキスタンのカラチの街中で迷子になったとき,通りがかったタクシーの運転手の方に声をかけてくださり,お金をもっていないというと「構わないから乗りなさい.ホテル迄送るから」と言ってそのようにして頂いたこともありました.そして,2年近く,アルジェリアで勤務していたときも,関係した方達から本当に親切にしてくださり,また,彼らと互いの国の宗教や文化について密度の濃い意見交換もさせていただく機会にも恵まれましたが,物質的には貧しい環境であっても,人として生きるうえで必要不可欠な根本的な価値について自由に話ができるということの素晴らしさをつくづく実感したものです.特に素晴らしいと感じたのは,それが男女問わず若い方たちともできたことです.

イスラエルのキブツでの滞在経験がある友人からも,パレスチナに行くと,あんな貧しい状況に置かれていながらも本当に手厚くもてなされので感激したという話を聞いたことがあります.

もちろん,イスラム教自体の中に西洋近代市民社会と相容れない面(イスラムの中でも異なる議論があるようですが)を含んでいて,それが行き過ぎると悲惨な結果をもたらすことも否定出来ません.それでも,イスラムの外にいるものとしては,少なくとも彼らに対し,最低限の礼を尽くすのが人としてのあるべき姿ではないかと思うのです.

パリでの襲撃事件後,Charlie Hebdoはあらたなナンバーを発行しましたが,最終的には700万部まで増刷するようです.その一方,イスラムの国々では,反発が強まっていて,例えば,ニジェールの首都ニアメイでは,大規模なデモンストレーションが行われ,参加者による投石,さらに非イスラム教徒やフランス人の経営するバー,ホテル,商店等が破壊されたそうです.そして,少なくとも7つのキリスト教会が放火されたそうです.(Cf.上記のリンク先記事)

平和的な行進はともかく,暴力や破壊を伴うものは許されないと思いますが,こうしたイスラム諸国の状況も正しく把握しておくべきでしょう.そして,なにより残念なことは,今回の一連の出来事の結果,イスラム世界と他の世界の溝のみならず対立が一層深刻化してしまったことです.そして,経済格差などの宗教以外の対立がすべてこの問題を傷口として,激しさを増して吹き出し始めたことです.

ところで,ムスリムの人たちが国際社会における差別の対象となっていることへの反発を招いているのは,アメリカのイスラエルびいきであることは広く知られたところですが,それは別にアメリカにおけるユダヤ人ロビーの力が強いということが主な原因でありません.WASPの一部を含むキリスト教原理主義者たちのアメリカ政府に対するロビー活動とイスラエルへの莫大な支援によるものです.それは,彼らがキリストの再臨地(もういちどすべての人類を裁く為に天から戻って来ること)はイスラエルであり,救われる人,つまり天国に入る人もイスラエルに集められるという信仰に基づいたことなのです.自分たち以外の宗教者を無視して,イスラエルからあのような非人道的な仕打ちを受けているパレスチナの人々を放っておくことこそ宗教的エゴイズムに過ぎません.それに加えて,中東でのアラブとユダヤの対立を生み出したのも西洋諸国,つまりクリスチャンたちですし,さらに歴史を遡れば十字軍によりどれだけ多くのムスリム達がクリスチャンによって虐殺されたでしょうか.また,9.11のニューヨークで起きたテロ事件以降のアメリカ軍や協力する西洋諸国の軍隊により如何に多くの罪のない一般のムスリムたちが虐殺されたでしょうか.(日本も直接には手を下していないとしても,アメリカによる虐殺を政治的,物質的にバックアップしています.)少なくとも,イスラム教とキリスト教をそれぞれが相手の信者を殺した数で比較するならば間違いなく後者によって殺された前者の数のほうが圧倒的に多いのは明白な事実です.もちろん,こうした歴史的事実に基づいて,イスラムの名を騙る殺人者たちの非道を認める訳では決してありません.しかし,クリスチャンたちも自らの過去の過ちを真摯に反省し,その上で良心に照らして誠実な行動を採るべきではないかと思うのです.

とはいうものの,上記のように考えることができたのも,ヨーロッパのメディアがそのための材料を提供してくれたお陰であり,その意味ではヨーロッパの近代市民社会は成熟していると思います.翻って日本はどうでしょうか.自らの歴史について自由に議論できる環境が整っているといえるでしょうか.

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