Friday, 9 January 2015

テロの報道によって不安を持つ子供にどう接するか(フランス語)

詳しくは,複数の専門家をアドバイスを紹介しているL'EXPRESSのCharlie Hebdo: comment éviter que les enfantsaient peur du terrorisme?とL'OBSに掲載された心理療法士のHélène Romanoさんによる"Charlie Hebdo" : il ne faut pas cacher aux enfants la gravité du drame. Mais l'expliquerをご覧下さい.

以下,上記記事の抄訳です.

テロリズムについての会話を家庭でタブーとしない.子供たちと話す.彼らが恐れていること,不安に思っていることを聞く.彼らからの質問に真摯に答える.事実を隠さない.(いわゆるオブラートで包んだような説明をしない.特にうそをつくと,子供達は親に信頼を置かなくなる.)しかし,不必要な詳細は避ける.トラウマを克服するには,それに意味を与えてあげることが必要.また,幼い子供たち(スマートフォンやPCを操作出来ない7歳,または10歳以下の子供たち)にはテレビで放送される関連映像を見せない.(専門家によると,ある程度の年齢に達した子供達は,ある程度の量のショッキングな映像に耐える能力を備えている.)そして,子供たちの体調の変化に注意することは言う迄もありません.

これからは個人的な所感ですが,以前から日本の報道関係者の姿勢を見ていて不思議に思うのは,報道の自由であるとか,知る権利を主張する割には,未だにテレビのドキュメンタリー番組で死体などのショッキングな映像が流されないということです. 最近のポストで紹介したZDFのドラマ,『タンバッハ』の中でもドイツの強制収容所において撮影された実映像が含まれていましたし,さらに,第二次世界大戦のドキュメンタリー"The War"でも多くの兵士の死体の映像が挿入されています.ショッキングな映像を隠しておきつつ,裁判員制度においては被害者を撮影した写真を見せるというのは,一義的には日本の司法制度の問題でしょうが,日本全体のちぐはぐな構造の一側面といえないでしょうか.真実を隠すことによって生まれた闇,あるいは不透明性はあらゆる神話や伝説の温床となります.もちろん,支配する側にとっては,そのほうが楽ですが.なお,誤解のないように加えると,死者が出た事件,事故を扱う報道において一律に死体を見せるべきとは思いません.まして,裁判員に選出されたときのために耐性をつけるために見せるべきと言っている訳ではありません.まず,大多数が意識せずに,西洋的定義に従えばスピリチュアリズムに近い,心霊信仰,あるいは御霊信仰を有している日本人の宗教的特性を十分に考慮されるべきであり,とりわけ,ご遺族への配慮が最優先されるべきであると思っています.そのうえで,問題の社会全体に於ける重要性,深刻性に鑑み,必要とあればショッキングな映像も公開すべきではないかというのが個人としての見解です.

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