Monday, 18 August 2014

映画『グランド・ブタペスト・ホテル』に登場した保存鉄道と蒸気機関車

今年,日本でも公開された『グランド・ブタペスト・ホテル』("The Grand Budapest Hotel")は,一風変わった作品ながら,とても好きな映画のひとつとなりました.その理由のひとつとして,蒸気機関車が登場したということがありますが,マダムC.V.D. und T.の暗殺後,彼女の居城へ急ぐ主人公たちを乗せた列車がその上を往復する橋梁が,マルター(Malter)付近のダム湖*1)へ注ぐ支流のひとつに架けられているものであること,また,列車の走行シーンで運転台上から進行方向を撮影したショットでは,線路が河川に平行に走っていることから見て,撮影に使用されたのは,まず間違いなく軌間750 mmのヴァイサリッツタール鉄道でしょう.*2) そして,登場した機関車は,ナンバープレートこそ確認出来ませんでしたが,上記の橋梁上を走行する際のプロフィールおよびボイラー上部の形状から,帝国鉄道時代の統一規格機99.73-76の改良型として,戦後,東ドイツ国鉄によって開発された99.77-79であることも間違いなさそうです.*3) どちらも1'E1' h2tタイプで,動輪直径は800 mm.外観上の違いとしては,前者は煙室上に円筒形のクノール式予熱器(Knorr Oberflächenvorwärmer)が配置され,そこで加熱された水をボイラーへ送り込むピストン式給水ポンプが装着されていましたが,後者ではそれらが廃止され,代わりに二基のスチーム・インジェクターが装着されたこと,さらに,最大貯炭量が2.5 tから4.0 tへ引き上げられたこともあり,全長が10540 mmから11300 mmへ増大したことなどが挙げられます.なお,後者では,全面溶接ボイラーが採用されています.性能的には,前者が600 PSiだったのに比べて,後者は565 PSiとやや低下していますが,これは,東ドイツで主に使われていた褐炭の発熱量が低いため,火格子の面積を73-76の1.74 m²から2.57 m²へと大幅に広げた結果として,全蒸発伝熱面積が80.30 m²から76.10 m²へと減少したことなどによるもののようです.*4) 走行装置については,77-79についてのみ書きますと,先輪,従輪共に構造の単純なビッセル台車が使用され,第1,3,5動軸は台枠に固定,第2,4動軸は線路に対し直角に左右24 mmづつ移動可能,つまり遊び幅が設けられています.(ゲルスドルフ式動軸)そして,主動輪(第3動軸)にはカーブでの走行性を向上させるためフランジがありません.最高速度は,従来のザクセン国鉄のすべての750 mm軌道用機関車と同じく30 km/hです.*5)

乗車した列車の牽引機,99.77-79形の1号機.帝国鉄道方式の製造番号771の前に東独国鉄のEDV番号において750 mm用を示す1が加えられています.最後の7は,セルフチェックディジット.ボイラー上部の一つ目の瘤,給水ドームの両側にはスチーム・インジェクターが装着されています.ドレスデンにほど近い起点駅フライタール・ハインスベルグ駅にて.
殆どの区間が林に囲まれた渓流沿いを走るヴァイサリッツタール鉄道
マルター付近では,空が開け,ダム湖に沿って走行.
終着駅ディッポルディスヴァルデ駅にて.復路は方向転換せず,列車の先頭に移動しバック運転.
同上.出発番線に移動中の99 1771-7
同上.先頭に連結され,出発準備が整いました.ボイラー上部の4つの瘤のうち,2つ目と4つ目はサンドドーム.
終着駅ディッポルディスヴァルデの町.映画のロケ地ゲルリッツ同様,趣のある街並です.*6)
復路に乗った列車の先頭客車から.煙室の右側に見えるのはエアコンプレッサー.
日帰りの小旅行を終えて戻って来たドレスデン中央駅にて.

ところで,現在も多くの狭軌保存鉄道が運営され,世界中からたくさんの観光客を招いているザクセンですが,最初に狭軌鉄道の建設がザクセン国会によって決定されたのは1880年3月2日.その際,支線用の軌間として750 mmが採用されたのでした.その後,同王国における狭軌路線網は驚異的な発展を遂げ,国王フリードリヒ・アウグストゥス III世の退位した1918年には総延長519.88 km(一部,メートルゲージを含む)とドイツ最大の狭軌路線網となりました.*7)(詳しくは,Wikipediaの「王立ザクセン邦有鉄道」のページをご覧下さい.)

なお,日本にもファンの多いザクセン・アンハルトのハルツ狭軌鉄道はメートルゲージです.念のため.

映画『グランド・ブタペスト・ホテル』は,横浜では,ジャック&ベティで8月22日迄上映されています.そういえば,映画の舞台となった架空の都市Lutzですが,恐らくポーランドのŁódźをもじってつけられたものでしょう.そのLutzで思い出しましたが,スイスの駐ハンガリー副領事カール・ルッツ(Carl Lutz)という外交官がいます.アッペンツェル出身のルッツは,第二次世界大戦中,最大数のユダヤ人を救ったと言われている人物です.彼は,現地の抵抗運動と協力し,ハンガリーにおいてナチスによって迫害されていた62,000人ものユダヤ人を救ったその功績から,三度ノーベル賞候補に挙げられました.(ルッツに関するドキュメンタリーが,8月末にスイス国営放送のDOKの枠内で放送されました.番組はスイス以外の国では視聴できませんが,番組のページはこちらから.ウェブアルバムは閲覧可能です.)

なお,映画でホテル内部のシーンはドイツのスタジオで撮影されたものですが,近い雰囲気のホテルについては,こちらのポストをご覧下さい.




*1) Rote Weisseritz川をせき止めたダム湖.ヴァイサリッツタール鉄道のこちらのアルバムに当該の橋梁の画像が掲載されています.
*2) 映画のなかで鉄道が登場するすべてのシーンが,ヴァイサリッツタール鉄道で撮影されたわけではなさそうです.
*3) 現場では,両方ともザクセン国鉄時代の形式名であるVII K(Kは,ドイツ語で「小さい」を表すkleinの頭文字.つまり狭軌用であることを示す)が用いられていたようです.その場合,両形式を区別するための呼称は,前者はEinheitslok. VII K,そして後者はNeubaulok. VII Kとなります.(ザクセン国鉄のメートルゲージ用機関車を表す記号は,M.くわしくは,Wikipediaのこちらのページをご覧下さい.)(Cf. Schmalspur-Paradies Sachsen, Eisenbahn JOURNAL SPECIAL, 2, 2011, pp28ff)なお,ヴァイセリッツタール鉄道の所有する機関車のリストは,同鉄道のサイトのこちらのページに掲載されています.
*4) コロニアルゲージ(1,067mm)用国鉄C11でさえ,600 PSを僅かに上回る程度ですから,750 mm用機でこれだけの出力とはたいしたものです.
*5) Ibid., p33,なお,Wkipediaの情報によると,ヴァイサリッツタール鉄道の最大勾配は34.6 ‰,最小曲線半径は50 mだそうです.
*6) 昨年は,ゲルリッツで開催されたクリスマスマーケットに合わせて,ラウジッツァーSLクラブによりSLトレインが運行されました.今年も同様の特別列車が運行される可能性があります.なお,ゲルリッツの南西,ポーランド,チェコ国境の近くにもチッタウァー狭軌鉄道という保存鉄道が運営されています.こちらは,果たして映画の撮影に使用されたかどうかは判りませんが,機関車のリストを見ると一両の99.77-79形の動態保存機(99 787)が存在しているようです.
*7) Ibid., pp18ff, Pruissen, T., Heym, R., Dampflokparadies DDR Die Reichsbahn der 1960er- und 1970er-Jahre in Farbe, GeraMond, München, 2011, pp26ff

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