Friday, 3 July 2015

たま駅長の訃報を掲載したヨーロッパの主要ニュースメディア

スイスの知り合いからメールで知らされ(「日本では猫が神になるのか?」といささか不思議に思ったとのこと.*1)),確認したところ,とにかく取り上げているメディアの数の多さに驚きました.特にフランスではLibérationが,そしてドイツでは,なんとSPIEGELとFAZが,また,スイスではドイツ語圏の主要2紙のうちNZZが,さらにバーゼルの地方紙(Basler Zeitung)までが取り上げていました.なお,イギリスは除きますが,The Guardianを始め,やはり多くのメディアが取り上げています.
中国のプロパガンダメディア『こちら北京!』さえも伝えています.しかも,日本語だけでなく各国語で.
試しに,Googleで'日本','猫','たま'をロシア語,アラビア語,ギリシャ語へ訳して各国のニュースサイトで探してみたら,こちらも大賑わい.ヒンズー語でも,ひとつの記事がありました.将来,こうした猫たちが,世界平和のために貢献できるかもしれません.とはいえ,ホイジンガの『ホモ・ルーデンス』的視点に立つならば,日本では,'遊び'と'真面目','ゲーム'と'日常'の境界が,もはや混沌としてしまっているので,こうしたことが可能となるのだと思います.農耕民族として,その境界はかつて長い間,自然の四季の変化によって与えられていたのですが,それがほとんど無くなった結果なのでしょう.そういえば,今でも走っているかもしれませんが,上野動物園にお猿電車という施設がありました.実際には職員が遠隔運転をしているのですが,それに気づく前は,先頭の制御車両に乗っている猿がよそ見ばかりしているので,よくあれで運転できるものだと不思議に思ったことを覚えています.マスコンらしいハンドルを掴んで,それを操作しているようだったので.



*1) その方には,「日本は,ヨーロッパのような啓示宗教文化圏ではなく,自然宗教文化圏に位置していて,しかも,かなり特異な宗教文化が根付いているため,こうしたことは,どうということでもなく普通のことなのです.」と返信しました.

なお,蛇足となりますが,一神教文化圏と多神教文化圏という区別をされる方もいますが,この区別は,相当問題を含んだ区別であり,日本の場合も,先祖の融合体である氏神を中心にまとまっている伝統的な村落共同体の'宗教'は,一神教とされるカトリック(場合によっては,プロテスタントも含めて)との類似性が強く見られます.そうした構造を全国規模にまで拡大し,明治政権が中央集権国家を作り上げる上でイデオローグの役割をはたしたのが井上毅でした.天皇家(あるいは,皇祖である天照大神)を日本全体の'氏神'へと祀り上げるというのは,プロテスタント国であるプロイセンに留学した伊藤博文のアイデアでした.

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