アメリカでも死刑制度が廃止される可能性がでてきたようです.
今回の最高裁の判決において違憲であるとした(原告の訴えを認めた)裁判官のうち,Stephen Breyer氏並びにRuth Bader Ginsburg氏は,死刑そのものが憲法違反である可能性が十分にあるとの見解を示しました.また,元最高裁裁判官Thurgood Marshall氏,William Brennan氏,さらにHarry Blackmun氏も類似の見解を示しています. もし,将来,アメリカ全州において廃止が実現すれば,ヨーロッパのニュースメディアが報じるように,先進工業国の中で日本は死刑制度を維持する唯一の国ということになり,日本と欧米先進諸国が,特に人権に関する価値観を共有しているのかが,いよいよ問われることになりそうです.しかしながら,もし,日本の立法府,司法府,行政府,そして,日本人の大多数が死刑制度の存続を望むならば,その理由を,少なくとも他の先進工業国に対し,先方が納得するか否かは別として明確に示す必要があります.もちろん,その結果,日本において死刑が執行される毎に,国際アムネスティはもとより,ヨーロッパ各国のニュースメディアによって引続き大々的に報道され,日本は自分たちとは共通の価値観を持たない変わった国だと思われ,最終的に日本の国益にどのような負の影響を及ぼしようと構わないという覚悟ができているのであればの話ですが.
一般に全体主義を好む,あるいは全体主義に基づいた行動しか知らない私たち日本人にとって,民主主義や自由主義は,あくまでも効率的に富をもたらす経済活動の前提としのみ意味しか持っていませんが,西洋においては,普遍的人権,個人の価値の公平な尊重は前者の基盤であり,民主主義や自由主義やそれらが存在しなければ成立,機能しえない制度なのです.従って,これらの制度を存続させるには,まず,普遍的人権,個人の価値が尊重される社会が成立している必要があり,それが脅かされる事態が起きるのを防ぐことは経済活動にまして重要なことなのです.第二次世界大戦中,アメリカが参戦した大義は,少なくともその当時は,世界の自由を守るためというものでした.日本の場合は,何だったでしょうか.大東亜共栄圏の建設でしょうか.そうであったならが,今の言葉で言えば,ブロック経済圏の確立です.冷戦時代に置き換えれば,ソ連を中心にした所謂COMECONのようなものです.他の国はそれぞれ特異な経済分野でソ連に貢ぐ,大東亜共栄圏も似たような構造を目指していたものと理解しています.そうしたものの建設の動機となっているのは,大国,あるいは大国になろうとする国の覇権欲に過ぎません.
The Supreme Court may be ready to abolish the death penalty: http://t.co/fq1hcT0gd5 pic.twitter.com/as0UQHPUOC
— Slate (@Slate) 2015, 7月 4
Supreme Court Justice argues that the time has come to reconsider the death penalty altogether http://t.co/yOiPRDZffp pic.twitter.com/jKCmbXsLWF
— The Intercept (@the_intercept) 2015, 6月 30
Supreme Court dissenters signal historic challenge to death penalty http://t.co/N2uwOcD9yI pic.twitter.com/jbfIvFIh4a
— Los Angeles Times (@latimes) 2015, 6月 30
More Americans now prefer to life imprisonment without parole over the death penalty http://t.co/iNEsNeTkBx
— The Economist (@TheEconomist) 2015, 6月 30
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