Thursday 12 July 2018

神社は人間を津波から守ろうとした.しかし,人間はそれを拒否し,経済成長という神にかしづき続けた

今夜は,ここ大船渡市盛町の天照御祖神社(アマテラスミオヤジンジャ)の祭礼の夜でした.来訪した県外者である私も温かく迎えていただき,拝礼の際には,氏子代表の方に続き,神主さんのご指名により榊を奉納する栄誉にまで預からせていただきました.

こちへ来て出会った本,『神社は警告する』,『仙台平野の歴史津波』などから,東日本大震災において付近一帯を襲った大津波は,各地の神社の手前で止まっていたことを知り,やはり,私たちのご先祖が崇拝してきた各地域の神様(氏神)は,子孫を守ってくれていると言うことを改めて強く実感させられ,胸が熱くなった夜でした.

(『仙台平野の歴史津波』で著者の飯沼氏が,その脆弱性に強い危機感を覚えておられた仙台市宮城野区蒲生地区の被災状況は,河北新報社刊『津波被災前・後の記録 宮城・岩手・福島 航空写真集』の被災前後の航空写真を見るとよく判ります.そして,仙台市防災安全協会の報告にあるとおり,今回の津波も,波切神社には至らなかったのです.)

いつから,日本人は,祖先の言い伝えや教訓を無視するようになってしまったのでしょう.そして,何故,無視するようになったのでしょう.少なくとも,この地に滞在している間は,その答えを探しつづけたいと思っています.

しかし,冒頭でお伝えした神社で,氏子のおひとりであるSさんから聞かされた「人間は,自然に対する畏怖を忘れてしまった.」,「復興とは,まず,その土地に住む一人一人の日常が戻ることであって, 雲の上の話のような経済効果を謳うILC誘致のような計画には違和感を感じる.20年後,使用を終えたトンネルが核廃棄物の処分場とならない保証がどこにあるか.」と言った言葉には,胸が打たれる思いがしました.まずは,地域の神社の祭礼から元に戻して行くべきと言う言葉にも大いに共感しました.大規模な多目的ホールの建設を批判するわけではありませんが,地域の人々が季節ごとに定期的に集う場所と言えばは,やはり日本では神社ではないでしょうか.Sさん曰く,「今日の一般的な神社離れの傾向は,それが政治的に利用されるようになったから.」確かに,そうかもしれません.

中央政府など行政からの押し付けや,一時期,やたらに叫ばれた《絆》と言う言葉に表現される地域外,すなわち氏子以外の個人や集団からの,ときとして的外れの支援(*1))に無条件の信頼を寄せることは,すべきではない.まずはかつての,いや,先祖代々,地域で営まれてきたの暮らしの有りようをとりもどすことこそが,本当の復旧,復興なのだ,Sさんから伺ったことを自分なりにまとめると,以上のようになります.祭りのための臨時の拝礼所の後片付けをお手伝いした際,権現様(獅子舞の一種で用いられる衣装)の頭部を運ばせていただきましたが,権現様が喜んでおられるような,そんな気がした夜でした.

*1) 2011/12/7 今西 乃子 (著), 浜田 一男 (編集, 写真) 『心のおくりびと 東日本大震災 復元納棺師 ~思い出が動きだす日~ (ノンフィクション 知られざる世界)』(東京,2011年,金の星社刊)参照.

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